地図を見ていて、元寇防塁という文字を見つ
け、立ち寄ってみることにしました。場所は糸島の隣の福岡市です。
元寇防塁の説明では次のようにありました。
文永11年(l274)蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、建治2年(1276)に博多湾の海岸線に石築地(いしついじ)を築いて再度の来襲に備えることにした。これを元寇防塁(げんこうぼうるい)と呼ぶ。
おそらく 当時は、海岸にあったと思われますが、長い年月の間に松林の中にはいってしまったようです。外国が近いことを改めてかんじました。
地図を見ていて、元寇防塁という文字を見つ
け、立ち寄ってみることにしました。場所は糸島の隣の福岡市です。
元寇防塁の説明では次のようにありました。
文永11年(l274)蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、建治2年(1276)に博多湾の海岸線に石築地(いしついじ)を築いて再度の来襲に備えることにした。これを元寇防塁(げんこうぼうるい)と呼ぶ。
おそらく 当時は、海岸にあったと思われますが、長い年月の間に松林の中にはいってしまったようです。外国が近いことを改めてかんじました。