さて 芝公園をぬけ、日比谷通りにでました。
この先、左手には、徳川家の菩提寺増上寺があります。
その手前に、りっぱなご門がありました。今まで 気がつきませんでした。
「7代将軍徳川家継の有章院霊廟における第一門」との説明が書かれた立て札がありました。
説明によると有障院霊廟は七代家継の霊廟で享保二年(1717)に、八代将軍の吉宗により造営されたそうです。
日光の東照宮(とうしょうぐう)に劣らぬといわれるほどの豪華なものでしたが、1945(昭和20)5月の空襲によりこの二天門(にてんもん)を残して焼失したそうです。
門の右には北方を守る多聞天(たもんてん)、左には西方を守る広目天(こうもくてん)の像がおかれていま
す。
考えてみたら、増上寺・芝公園あたりを通るときは何かの仕事でです。
遺跡や四季折々の木々を訪ねてゆっくりあるいて見たいと思いました。